雨の中、七尾市矢田郷公民館の行事「矢田郷里山手作り市」が行われていた七尾城史資料館、懐古館「飯田家」のある古屋敷町に行ってきました。

 Sate-1 「矢田郷里山手作り市」

 久々の七尾城史資料館です。資料館に入った右側のガラスケースの中に天保14年に描かれた七尾城山の古地図を拡大複写したものが展示されています。少し細かく見てみました。

 本丸跡右下の周辺は、遊佐屋敷跡とは書かれていませんが、桜の馬場跡はあります。桜の馬場背面に西の丸跡ありますが、当時は石垣があったのでしょうか?温井屋敷の記載はありません。

 古地図 古地図(一部)

 展望台のほうの鶏塚の左手に金清水(池?)が描かれていますが、国分事務局長では見つけられないとのことでした。馬洗池は城石線の起点に今でもあります。当時は2つあったのでしょうか?

 古地図-3  鶏塚(とりづか)、金清水、馬洗池

 旧道の赤坂口には門跡として石垣が描かれていますが、これも今では石垣がありません。それとも蔵屋敷の方に行くとあるのでしょうか?

 古地図-4 赤坂口、蔵屋敷跡

 赤坂口から登って、時鐘跡、番所跡と続きますが、途中の長坂、七曲りの記載はありません。

 古地図-5 時鐘跡、番所の跡

 現在、三の丸跡の中ほど、盛り土のあるところに石垣があったようです。4尺というところから1.2mほどの石垣となっています。逆に、中ほどに一直線の石組みがありますが、この地図には描かれていません。井戸もあったように描かれています。別の地図では、三の丸跡から降りて安寧寺跡にたどる途中の袴腰と呼ばれる平坦地に井戸が描かれています(七つ尾31号・P28)。

 古地図-6 三の丸

 大塚と書かれている曲輪は、現在寺屋敷跡と呼ばれ、古墳とも畠山歴代のお墓(供養塚)であるともいわれる盛り土があります。

 古地図-7 大塚(寺屋敷跡)

 このように、古地図と現在の城山の状況を見比べると同じであったり違っていたり、興味がわきます。また、現在のような測量によって細かく図面化した地図と異なり、古地図独特の描き方は、基準をどのようにして出して描くものなのでしょう。この古地図には、その他いろいろ描かれていて、一つ一つ見ていくと新しい発見があるように思います。別の古地図と見比べても面白いと思います。

 今年中に七尾市教育委員会が七尾城山のコンピューター・グラフィック(CG)を作成されます。これを元に、城史資料館の模型がよりリアルに作成、展示できると良いのですが。

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