昨日(12/10)投稿した「もどり橋(七尾城伝説)」について、七尾市教育委員会文化課から「アップしている橋ではなく、カワラ金属工業株式会社の敷地に向かっているコンクリートの橋が「もどり橋」で、木の橋であったものをコンクリートに変えて設置している。」とのことでした。

 その橋は、国分寺公園から国道159号線に出る道(昨日アップしています)の脇に外れて設置されていて、カワラ金属工業の敷地ブロック塀に向かって作られています。ある意味用を足していなくなっています。

 もどり橋3 もどり橋-1(右手電柱下)

 もどり橋1 もどり橋-2

 もどり橋5 もどり橋-3

 では、もともと道(古道)はカワラ金属工業の中を通っていたのを、工場を建設したときに現在の道に付け替えたのでしょうか。

 このことを土肥国分寺公園展示館長に確認したところ、館長がかつてある方に聞いたのは、昨日投稿した橋だということでした。

 ただ、土肥館長では、カワラ金属の工場を作る際、本来は現在の国分寺公園(広さは不明)が所有地であったものを、国分寺跡ということで換地して現在地に建設したということでした。

 もどり橋?1  右手:カワラ金属工業敷地

 この際に、道路をカワラ金属敷地の外に出して付け替えた可能性があり、「もどり橋」が残ったのかもしれないということでした。この橋からは、わずかですが城山を望むことができます。

 もどり橋4 もどり橋から城山

 七尾市教育委員会文化課のお話なので間違いはないと思います。このような言い伝えのある橋はいつか忘れ去られることと思われ、言い伝えのある場所はビジュアル化して残しておくことも必要だろうと思います。

 昨日の投稿は間違ったデータとなるかもしれませんが、とりあえず、そのまま残しておきたいと思います。また改めて検証していきたいと思います。七尾城山を愛する会では、このような言い伝えを伝承採集部が収集して「松風」に登載しています。登載された言い伝えの場所が特定できれば写真に残していきたいと思います。

 

 

 ※ この投稿作成中に土肥館長が訪ねてこられ、やはりこの橋が「もどり橋」ということで、資料として国分寺の整備関係の冊子にあるということでした。